それは小さなステップ?

balilabサロンコラム

ドキドキの大使館訪問

アポイントがとれるなんて

夢の夢でした。

そこは東京の目黒駅から徒歩15分ほどの場所にある

街の中に急に、、学校?

て思うような建物でした。

実は朝に色々トラブルがあって。

まずは朝起きてなんだか頭が痛い、、とりあえず鎮痛剤を飲んで

吉野家の朝定食を食べに。

いつも残さないはずのご飯を残してしまい、頭がスッキリしないなーと思いながら携帯を探してなくて、

ホテルの部屋に忘れたことに気づく。待ち合わせ時間まであと10分、、あー朝からやらかしたーて思ってあたふたしていたら

今回同行してくれたbalilab生のさやかちゃんがさらっとホテルに電話で確認😭数分の距離のホテルに戻るのに足がうまく運べない。

携帯が無事見つかってメッセージを確認したら

今日アポイントを取ってくれた

リスキナさんがまさかの電車遅延に巻き込まれて後から追いつくというメッセージ。

まじかー早くきてくださいーと祈る気持ちで駅に戻る。

そこから徒歩はダメだと判断し、タクシーで現地へ。

着いてロビーで待つように言われて30分。初めの緊張からすこしほぐれた頃またリスキナさんからメッセージ。

11時になります。先にはじめといてください。香先生は英語が出来るとお伝えしてます。

まじで、?!無理無理!

私の英語力なんてせいぜい

子供の会話。。

でもここまで来たんだからとりあえず何を今日話すつもりだったのかだけ確認していた。

今回の訪問は

「ジャムゥラサ」

日本にジャムゥを広める4人

のなかのインドネシア人の

リスキナさんのおかげ。

彼女は英語、インドネシア語、日本語を自在に操り、

以前インドネシア大使館で働いていた経験もある

日本農大の准教授。

私たちになくてはならない存在です。そして

今回は

彼女のおかげで

日本人の私が

ここでお話をきける、

そして

お話させてもらうことが現実になったということなのです。

だからもちろん流れとしてはま

ずはリスキナさんが私たちを紹介してくれて引き合わせてくれて

私が何者で何を今日伝えてな

にを聞きたがって来たのかを

先方に伝え、私は日本語で補足の質問などをする、と思っていた。(それらの情報は先にすべてリスキナさんに送っていた。ここまでは私にしては準備万端だったはずだった)😅

なのでリスキナさんがいないことはまず想定外。

そしたら来たーー

リスキナさんがまだの状態でいきなりはじまった。名刺交換の時間。心で思う。今10時35分。名刺交換に15分くらいかけたい!

でもあっさり終わりみ

な着席。あちらは聞くよ、どうぞ、とでも言わん感じ。にこにこ

so…?

あーもう一か八かでいうかやるしかない。

いわゆる自己紹介をして

今自分がどんな活動をしているかを説明した。

ありとあらゆる回りくどいかもしれないゆっくり優しい英語のみで

伝えていく。 日本語でカッコよく準備してきたはずのものは真っ白になりすべてその時に思いつくまま。

そろそろネタが尽きたーの頃にり

すきなさんが。救世主にみえた。

リスキナさんがインドネシア語でおそらく私のことを説明してくれてる。その間に色々思い出してた。

インドネシアのジャムゥを
そのまま日本に。
と熱意をもってた15年前

インドネシアに渡るたびにこれを
日本にどう持ってかえるーーー、
と悩んでた15年前。

このことはつ

伝わってたみたいで

あちらの方がわ

たしにまずいったことは

「20年もの間インドネシアのことを日本でマッサージを通してしてくれたことに大きな感謝をまずは伝えたい。」

バリニーズを始めて20ねんということがつたわってた。

「そして私たちがしなければならないジャムゥの啓蒙活動をこの日本で日本人のあなた方がしてくれている活動に深く感謝し、それを出来る限りサポートしたい」

といってくれた。

そこはちゃんとききとれた。😂

10年ほど前になる。
同時はじめたてだった、

ジャムゥのワンディ講座を受けにきてくださった受講生に
「これってジャムゥというか、
単にスパイス学じゃないんですか?
これを
どうジャムゥというんですか?」


この言葉が痛かったなーー😅
この言葉が
私の今のオリエンタルジャムゥの
考えを生ませたんよなぁ。。

(だからいまは
その言葉をストレートにつたえてくれたことにすごく感謝してる。)

何度もバリ島にいってジャムゥレッスンをうけていた。
インドネシアの自然のものでつくる葉っぱのおくすり。

自然のもので体を癒す。植物の、スパイスの力を借りる。 

この考え方がそう、これだ!と思って必死だった。

何度かこれをブログにも書いたけどこここらは私は

日本でこれを広めるにはこのままじゃ無理だ。日本の薬草を使う方がより日本人にも馴染みのあるものになり、日本人のためのジャムゥになる。という方向に向かっていった。

だけど
日本の薬草と勝手に混ぜて
本来のジャムゥを捻じ曲げてるとか
インドネシア人のプライドというか
想いを軽んじてると映らないかがすごく心配だった。

そこはやはり

今回大使館にいったときその話をする時にも一度怯んだポイントだ。

だけどそれは大事な点だから

私なりに丁寧に説明をした。

でもいま協会の
仲間と共に推し進めている
日本人のための
ジャムゥ
ジャパニーズジャムゥ

オリエンタルジャムゥを
どう感じるか、のもおききしたかった。

つたなさすぎる英語ですが

熱意は伝わってる。

とおもう。

動画にはないけど
この後の答えは
「Acculturation」
文化変容 いいですね!
とサポートします。
と言っていただけた。

もう心配はない。

もう迷わない。

イギリスのビーフシチューが日本の肉じゃがになったように。
その国に合わせて
大事なものを
大切に引き継ぎながらも
その土地の文化にあわせる。

そのことを

インドネシア政府として

歓迎します、と言っていただき

出来る限りサポートしますと言ってもらいました。

さらに

私がジャムゥを語り出したはじめは2人だった生徒様がいまは

100人以上に増えて今は協会も立ち上げ、その人数が60人というとよく頑張ったね、といわれた。

オリエンタルバリニーズジャムゥ協会のシンボル的な絵が

大使館の中にまさにあってびっくりした。

お話をきいてくださったかたがいわれた

小さなステップからはじめる

あなたのこのジャムゥプロジェクトは

大きなポテンシャルを感じている

私たちはそれを出来る限り応援しますし、

いつでも力になりたい、と。

私にとっては大事件ですよ!の今日。小さなステップといわれた。

私が考えるより大きなステップを今後踏めるのかもしれない。

身震いする帰り道。もう風邪の身震いなのかどちらかわからなかった。

さて。

ここからですよ。

OBJA

協会の次のステップは大使館がバックについてるのですから。☺️

朝からバタバタでしたがとりあえず結果オーライ。帰りの新幹線はほぼ死んでました。チーン😵‍💫

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