いまいる この場所を大事にしていきたい理由。

balilabスクールコラム

バリラボは

三郷町城山台というのどかな住宅地の中にあります。

この住宅地は

私が実は小学生から

最初の結婚をするときまで住んでいた場所。


その結婚が終わり、


どこか息子と住む場所を探さないといけなくなり

正直どうしたらいいかまったくわかりませんでした。

これからどうなるか

わからない状態すぎて


親の実家を改装させてもらう案もでました。


賃貸でどこかを借りてお店をする、


一戸建てを借りて改装する


最後の最後に

親の助けもあり


古いおうちを探して

改造してそこに住むという

選択肢を増やして探すことになりました。


その時にいろんなところを一人で見に行きました。


前に住んでたおうちは


20代の頃からの

自分で設計した満足なおうちに

お店をつくるという夢を叶えた最高のおうちとお店

と思っていただけに探す作業は

その度に正直落ち込む時間でした。

もちろんそこを超えれる、いう発想は皆無でしたが

ただとにかく

買える範囲の ところという観点で探しましたから
あまりにも落差がおおきく思えて。

最後に昔住んでた住宅地が売りにでてるよ、

と母の言葉に見に行き

はじめて

ここなら

とリスタートが見える気がしました。


まだすんでおられたんですが

その方が素敵な方でおうちを

慈しんで住んでおられたこと


入ったときに感じたエネルギーが優しかったこと。


あとはリビングが南向きで 玄関はいって和室が6畳あったから

そこをリメイク出来そうとワクワクした


それが決めてでした。


はじめに引越しとリフォームを考えたときは


入ってすぐの和室をサロンにして


その手前のリビングを

そのまま改装なしのカウンセリングとスクールルームにしようと工務店さんを紹介いただきました。


当時 全国でバリテイストのレストランや

カフェをたくさんデザインされていた

タイムズデザインの社長さんと

知り合いで

(バリ島でもお世話になったりしてもその気さくな雰囲気と生み出すお店のセンス、才能などにものすごく憧れてました)

本当にダメ元で

今の自分の状況を話したところ
二つ返事でいーよー

見に行くわ。

て   そのときのわたしは

頼んでおきながら

え?ほんまに?

え?

ほんまに受けてくれはるの?

でした。


福森社長は

多忙な日々の中

到底個人のお店のデザインなんてと思ってたから。


そのあと

工務店の方と話をつめてくださり


その時の風景をまだ忘れられません。


目の前のことが現実か

よくわからなかったから。

そして

わたしのこれからのことを

しっかり決め兼ねてるわたしをよそにどんどん話が進んでいくから。


なんだか

そのときおもったことは


言葉にだしたら

その言葉に責任をもたないと。

その言葉から誰かの心や行動を動かして

物事はそちらの方向にすすむ。


今更それは

出来ないことでした。なんてない。

言葉にだしたなら

そちらに向かうからそのときには

その波にのり覚悟決めて進んでいく。

話が進む中

当時家をでてお金がなかったわたしは

予算を決めていた。


もちろんそこには

息子のための貯金やら

2ヶ月は仕事をやすむだろうからそれを考えてのものだった。


デザインを手がける前に

提案されたこと


玄関入ってすぐ

ここが外観から想像しにくい別空間で繋げないと。

リビングも含めて一体化するほうがいい。


もちろん

和室以外に改装する予定がなかったわたしは


予算の倍をかけるときにものすごく躊躇した。


夢は希望は大きいくせにそこに対しての覚悟はなかった。

引っ越したらおきゃくさんこなくなるし


そんなのはじめから無理!ですーー


だってなんか怖い、そんなにかけてもしおきゃくさんこなかったら?
お金なくなりますと生活できないかもだし、、むにゃむにゃ、、

とにかく守りに入ってた。


「本気で作ったら本気の仕事ができて

本物のお客様が集まるお店になるから

頑張ってみー」

あなたの夢を応援したげる

普通は受けないであろう

小さな、

それこそ全然利益にならない

デザイン設計の仕事を受けてくださった。

(わたしはそう感じた)


何度も壁の色を相談してくださったり

何度も工事中も足を運んで

(そのとき入院されたりして

その間際にも確認にきてくれたり)

いいやん、いいやん。

とニカっと笑う少年みたいな社長に


ほんまにいつか

バリニーズ受けにきてください、お礼がしたいから!


とお願いした。

今も

結局受けていただけないまま。


お世話になった感謝と恩だけずーーーっと借りっぱなしなまま。


その後  色々お世話になりながらも

なかなか会いにいけないことを

気にしていた最中、

このコロナの時期にテイクアウト専門店を


オープンされたときき、


お店にあいにいった。


素晴らしいお店だった。


この飲食がしんどい時期に良くぞこの時期に、と唸ることしか出来ない。


またすごいものを見せてもらえた。


奈良にあります。


その日ちょうどこられてて

時間帯もよかったので

席で色々話す時間をいただけました。


わたしは

なぜか猛烈に

今でも感謝をしてること、

尊敬してること、

今 サロンをものすごく

気に入って あの時くださった言葉どおり

本物の素敵なお客様がいっぱい来てくださってます、と報告したくて。

とにかく伝えたくて。


(ご本人はそんなん言ったかなーて笑ってましたが)


そのあともっかい会いに行くつもりだった。

なのに

その後10日後、 急に亡くなられたことをきいて


あまりのショックに

信じないでおこうとおもってましたが


やはり

悲しくて信じられないと共に

絶対忘れないと


そしてここを大事にしようとおもいました。


福森さんのおかげで

本当にわたし

あのとき なんにもなくて

不安いっぱいやったけど


がんばろう、

頑張ってここでもっかいサロンしよ、

本気でやろーて

誓ったんです。


最後にお会いできて

本当によかったです。

かおりちゃんの次の夢はなーに?


といわれて


いつか

奈良にバリを作りたいんです。

サロンやカフェ、雑貨屋さん、美容室なんかの複合店。


そういう

あいかわらず夢ばかりおおきなわたしに


「僕そんなん作らせたら世界1やで。」て

笑ってこたえてくれたから


「福森さんが作ってくれたら

そのでわたしバリニーズのサロンで参入させてください。センス大好きですからどこまでもついていきます。」というと

「もちろーん」と手を挙げて

仕事に戻っていかれた。


そのあと

「頑張りやーー」


てデザートにアイスクリームご馳走になって


バタバタ帰り道に手を振ってくださいました。

まさかあれが最後と信じれませんが


言葉もその好きなことを実行に

移すそのかっこよさ


私 絶対に忘れません。ありがとうございました。

口に出して動くなら

夢が加速する。


いただいた言葉を

深く心に刻み込む。


私が大切にしてることです。


そして色んな人の憩いの場にパワーの場になっている

このお店をこれからも大事にしていきます。

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